しがないOLの日常

都内で働くその辺のOLが気ままに

生死について考えてしまった話

ちゃんとした内容のブログの最初がこの話ってって感じですが。

本当は最初はマルチに引っかかりかけた話を投稿しようと思ったのですが、なんせ流れを全部書いていたらものすごく時間がかかるっていうのでまだ途中で下書きが放置されています(笑)それよりも、今日の内容は今書いとかないとなぁと思って今書きます。

 

私、病んでるわけじゃないんですが、死について考えることが多いんです。

きっかけは約2年半前、祖母が亡くなったことでした。死の瞬間に立ち会えなく、何もできなかったとしばらく後悔してしまってそれから在宅での看取りなどのドキュメンタリーを見ては色々と考える日々でした。

 

そしてついに、先日祖父も亡くなりました。

離れて暮らしていること、またこのご時世ということもあって祖母と同じように立ち会うことができませんでした。

ただ今回は祖母の時のように後悔が少なかったです。祖母の死を経験していたということ、ご時世的にどう頑張っても直接会うことができなかったこと、6月あたりからいつ亡くなってもおかしくないと言われていたことが挙げられるかと思います。

思ったよりもスッと死を受け入れられて、葬儀の日を迎えました。

 

今回初めて納棺を経験しました。

生来、スピリチュアル的なものに興味があった私は、ものすごく勉強になる時間でした。へぇ、お金をポシェットに入れて渡すんだ、とか、きちんと旅立てる様に杖を入れてあげるんだなど、勉強になることばかりでした。

実際の葬儀も予定通り執り行われました。

式中は泣かなかったけど、とある瞬間で涙を流さずには入られませんでした。

それは、祖父の兄妹が声を出して泣いていたところを見たからです。

 

祖父は5人兄弟で、上の兄は2人いますが1人は既に亡くなっているらしく、もう1人の兄は葬儀に来ていました。あとは弟と妹。

弟の方は祖母が亡くなってから、祖父を心配していた弟のお嫁さんがちょくちょく祖父の様子を見に行ってくれたりして、その際に会ったりしていたこともありました。

約1年前、そのお嫁さんが祖父が倒れているところを発見してくれました。脳梗塞的な脳の血液が原因で倒れたらしく、もうコロナも始まっていたこともあって病院に駆けつけても一瞬姿を見ただけでそこから祖父は亡くなるまで病院でした。

そのタイミングで入院したので、もちろん面会もできず結果的に先ほど書いた様に会えずじまいでした。

弟さんは、祖父が亡くなる1ヶ月前に一緒に病院へ赴き、リモートで面会をしました。祖父が入院してから亡くなるまであったのはそれだけで、もう既に痩せていて呆けが始まっている状態でした。

その時は饒舌に自分の生活について話していた弟さんでした。祖父に比べて健康的な生活をしていて、長生きしそうだなと思ったものです。

しかし、祖父の葬儀での弟さんは違いました。

相当ショックを受けたのか、ご焼香もままならず、告別式には来たがらなかったほどだったといい、私も非常に心配になるくらいでした。お花を棺桶に入れて最後のお見送りでは、祖父の顔を覆って泣いていたのを見てもらい泣きしてしまいました。

また、祖父の妹さんもショックが大きかった様です。

最後のお見送りで声を出して泣いている人がいると思ったら妹さんでした。

後から妹さんの息子さんたちに聞いたところによると、祖父は妹さんを昔からとても可愛がっていた様です。息子さんたちも野球観戦に連れて行ったり、妹さんも兄妹の中でも特に祖父と仲が良かったのでしょう。

 

そんなおふたりの姿が頭を離れません。

私は孫として確かにとても悲しい、けど兄妹ってもっとなんだろうなと思いました。孫は一生の4分の1くらいしか人生を見ることはできないけど、兄妹は生まれた瞬間から知っていると思うと。

一人っ子の私には一生わからない感情であって、どういう感情なのだろうと考えてしまいました。

また、そうやって泣いて惜しんでくれる人はいるだろうかと考えました。

これまで見てきたドキュメンタリーでは最期の瞬間をどう過ごすかということを考え、家族の死で私はどの様に人間関係を築いていけば良いのか。

そこまで長く生きていないのに、いつ死ぬかわからないし、でも一般的にはまだ先のことだからこそどこまで考えれば良いのか。

 

考えてもなかなか答えは出ませんが、同年代の人はどう考えているのでしょうね。

生きるってなんなんでしょうね。

どうやって生きていけばいいのでしょうね。